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2022年07月27日
多度津白潟 空海はここで生まれた 5/21記録
【多度津白潟】
中津さん、さすがのガイド力。ご参加のみなさまも、空海はやっぱりここで生まれたと納得(笑)
今回は仏母院、海岸寺のご住職のお話も聞かせていただき、ますます楽しい旅になりました!


















■城ガールリポート
多度津白方を歩く①
今日はまちかど漫遊帖、
多度津コースに参加しました。
朝高松駅から電車で揺られ、辿り着いたのは海岸寺駅。そこから歩いて5分の橋は十四橋(とよつばし)
その昔真魚くん(空海の幼名)は、月に一度十四日にこの橋でお母さんに会うことができたので、こう呼ばれたそうです。
この時代、産みの母が子育てするのではなく乳母が子の養育をしたかららしい。
小さい頃から月に一度だけしか母ちゃんに会えないとは、なんとも…。
そこを過ぎたどり着いたのが仏母院。こちらはお母さんが住んでいた屋敷跡になります。
ここには三筆とも言われた空海の筆跡を写した石碑があったり、胞衣塚があったりします。こんなんがあるとこからしても、空海の生まれたんはここではないかと思われるんですが…。
ちなみにこちらでは、来年(2023年)道隆寺のご本尊が御開帳となる旨の話を聞きました。
そこから田んぼのあぜ道を通り、新しくできた道脇のモダンな建物を見学。これが速水史朗さんのアトリエだそうな。
黒御影石をツルツルに磨いたやつが中央公園にあったなぁ。
ここまで歩いて、山の中腹にあるオシャレなカフェ「風車の丘」でお昼ごはん。
午後の部はまたあとでアップします。
多度津白方を歩く②
お昼ごはんをいただき、昼からは海岸の方に降りていきました。
海際の墓地では、義賊南林のお墓を見学。
昔の多度津は、北前船の寄港地として栄え、お金持ちがたくさんいた町。南林はお坊さんであったので、そんなお金持ちのところに行ってお金を貰い(強奪ではなくあくまで頂戴?的な)貧しい人々に分け与えていたそうですが、やがて捕らえられ刑に処せられることになります。お墓脇にはその時読んだ時世の句がありました。
たくさん盗んでも、自分のものにしたのは刀(の一部)だけだよと言って亡くなったそうです。
白方は昔ながらの細道が残る町。しかもその細道は今でも生活道路で、軽トラやら割と通ります。普段見ない数の人の列に軽トラのおっちゃんや付近住民もびっくりしていたようで。
その後寄った熊手八幡宮では、平たい顔した和風狛犬がお出迎えしてくれました。
この神社は古く、神功皇后が嵐を避けるためここに立ち寄った際、地元の人が良くしてくれたお礼に熊手をもらったからこういう名前なんだそうです。
空海さんのお母さんもここで良い子が授かるよう祈願したとか。今は多度津の総鎮守と言うだけあって、なかなか立派な神社でした。
そこからまた県道を外れ町並みの中の細道を辿ります。
立派な灯籠は、徒歩や籠から車に交通手段が変化したことにより、道の真ん中から端っこに移転させられてました。
どっち見てもいい感じのむかし道が続いてます。
最後に向かったのが海岸寺奥之院。
ここでは住職さんのお話が聞けたり、普段見られない奥の仏像や空海さんが生まれたとき使ったと言われる石のたらいも拝見できたりしました。
さらに参加者一人一人加持してもらったりで、街歩き様々!
善通寺は空海さんのお父さん(佐伯氏)の館があった場所で、昔は家長は男性とされていたためにそちらが空海さんの生まれた所とされていますが、その時代の慣習や昔の地形などから考えるに、今は静かな白方の町が空海さんの生まれた町とするのが正しい気がしました。
そんなに離れてない善通寺と白方、だいたいこのあたりで空海さんが生まれ育った、って感じでえんちゃうかな、と私は思うのですよ。
来年の母の日くらいに、玉依御前に絡め何かこの辺でイベントあるらしいので、要チェックですよ!
ついでに古い町並みも散策してみると面白いと思います!
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Posted by まちかど漫遊帖 at 12:03│Comments(0)
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