漫遊帖「暦」
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2022年10月30日

多度津白潟「林求馬邸と白潟牡蠣そしてオリーブまで」10/30記録





【多度津白潟1】




10月30日(日) 快晴

9:04高松発のサンポート号に乗って海岸寺へ。

海岸寺駅で待っていてくれた、多度津白潟の現地ガイド #中津栄一さん と #林求馬邸 に向かいます。






コース構築でお邪魔したときには夏の盛りで、陽射しの強い暑い暑い道のりを、中津さんとああでもないこうでもないと相談しながら歩いたので、長いように思っていましたが、

気候もよくなり、お客様と笑いながら歩いていると、気持ち良い風が。




途中、春のまち歩きのときは曇り空ではっきり見えなかった天霧山も山頂の建物がわかるほどくっきりみえまして、まさに、まち歩き日和。






林求馬邸に到着すると、村井さんが、今日はみなさんが来られるのでと和服でお出迎えくださって、まずはみなさんと来邸記念のお写真を。









夏には資料館に貸し出されていた、お軸や屏風、玄関の見事な衝立も返ってきていて、見学するものがもりだくさん。











到底1日では見られないので、続きは、毎月第一月曜日の開館日に是非ゆっくりおこしくださいね。

林求馬邸のお隣のおじさんが、ここは県内のひとより県外の武家屋敷マニアのひとが多く、休館日に訪れたひとには、外から見えるところの説明くらいはしてあげるんだよと言っておりました。

殿のために建設されたお屋敷ですが、明治維新となりここに殿が住まわれることはなかったものの、林家のみなさんが代々暮らし守ってきたので、大変よい状態で残っております。

林求馬邸と弘濱書院については、コース構築のときのblogで。


■林求馬邸 2022.7.2
https://ruimama.ashita-sanuki.jp/e1287292.html

■弘濱書院 2022.7.2
https://ruimama.ashita-sanuki.jp/e1287277.html






【多度津白潟 2】



林求馬邸をでて、多度津白潟のブランドオリーブを作る #蒼のダイヤ さんへ。

コース構築のとき、個性的なオリーブオイルの試飲をさせていただき、これはフランスパンにつけて食べたい!と思ったので、

本番のまち歩き前日、春日水神市場 でフランスパンを買い、みなさんのぶんも鞄に忍ばせております。

まずは、社長の細川さんから蒼のダイヤができるまでのお話。




かつて、多度津白潟は、赤のダイヤ と言われたブランド葡萄デラウェアの日本一の生産地でした。

しかし、葡萄農家が、高齢化などの理由で農をはなれ畑は荒廃していきます。

この土地に再びの産業をと地元のひとたちが集まり、オリーブの生産が始まりました。

瀬戸内海をのぞむ傾斜地は、温暖で、降水量が少なく、水はけがよく、オリーブ栽培に適した土地。

とはいえ、自然相手のこと、蒼のダイヤ 最高級オリーブオイルが出来上がるまでには、関わるみなさんの努力や知恵なくしては成せませんでした。

いまでは生産、加工、流通販売まで一手に担う会社となりました。



いよいよ試食会。

オリーブオイルをフランスパンにしたしていただきます。野性味を残す無濾過のオリーブオイルの試飲ができるのも、生産、加工、流通かわできる 蒼のダイヤ さんだからこそ。










試飲のあとは、オリーブを収穫してみましょうとオリーブ畑へ。オリーブ畑のある小山からは、多度津の海が見渡せます。














オリーブの収穫も、傾斜地を上るのも非日常。これぞ遠足の醍醐味。ここでのんびりオリーブの枝で王冠作りながら過ごしたいねぇという声も。

オリーブオイルや新漬けオリーブ、タプナードなどお土産を買い、次は最後のポイント、白潟牡蠣のお弁当が待つ多度津白方公民館へ。


■蒼のダイヤweb
https://aonodia.com/








【多度津白潟3】

多度津白潟コミュニティセンター到着。





お昼ごはんは、ここで多度津 #さくら工房 のお弁当。白潟牡蠣だけでなく多度津の美味しいがたっぷりはいった、多度津づくし。



さくら工房さんは、地元の特産品を使い 美味しい郷土料理をつくってくれる おかあさんチーム。現在7名で活動中。





中心となって動いてらっしゃる池内さんは、食育活動はもちろん、テレビせとうち おばあちゃんの台所にも「靖子おばあちゃん」としても出演されてましたよね。

お話も楽しく、わかりやすく、このまち歩きのために作ってくださった、多度津づくし弁当に使われた材料も、ひとつひとつ紹介くださり、女性の多いツアーですから、みなさん興味津々。


文句なしに美味しかったお味噌汁のお味噌も、当然 さくら工房さん製。

分けていただけますか?の質問に、お売りすることはできないけれど、一緒に作りましょうと言われ、3日かかる仕込みツアーに参加表明するかたも。


白潟牡蠣は、まだはしり。一番美味しいのは2月。その頃に、またおいでくださいね。また、作りますからねと言ってくださり、

漫遊帖の時期ははずれるけど、靖子おばあちゃんに会いにきて、またみんなで牡蠣たべたいねと話す。


お弁当に入っていたオリーブの天ぷらは、この前に立ち寄った蒼のダイヤ さんのもの。

蒼のダイヤさんは さくら工房さんを、さくら工房さんは 蒼のダイヤを紹介しあい、町のひとたちの仲がよく互いに尊敬しあっていることが伝わり、漫遊帖まち歩きツアーとしては嬉しい限り。


■さくら工房さんの多度津づくしお弁当



多度津白潟牡蠣の牡蠣ごはんは、イリコと昆布だしと牡蠣の旨味がぎゅっと詰まっておりました。

牡蠣フライ。いまはまだはしりなので小粒ながら美味しい。2月がオンシーズン。

蒼のオリーブの天ぷら

鳴門わかめと旬の蛸の味噌和え

ブロッコリーとミニトマトは多度津の名産。

そして、桃陵公園の桜の木の葉で作った桜餅。

お味噌はもちろん材料も含めて自家製

■多度津さくら工房web
https://sanukinoshoku.jp/producer/%E5%A4%9A%E5%BA%A6%E6%B4%A5%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E5%B7%A5%E6%88%BF/



最後に、高松まちかど漫遊帖 の これからのコースのご案内。





みなさま、ありがとうございました。

楽しい1日でした!


  


Posted by まちかど漫遊帖 at 19:18Comments(0)まち歩き情報ガイドリポートるいまま

2022年10月29日

坂出フィールドワーク10/29 記録




【坂出フィールドワーク10/29 記録】

坂出は、年代によって見えているものがちがう街だ。

1889(明22)大久保諶之丞が瀬戸大橋架橋を提案してから70年余、1958(昭33)調査委員会が設置される。1970年代にはいり、坂出のみなさんへの説明会がはじまり、1978年(昭53)いよいよ着工となる。

それから10年後の1988年(昭63)、瀬戸大橋完成。

つまり、もはや戦後ではないと言われた高度成長期から昭和の終わりにかけて瀬戸大橋は出来上がった。

1970年頃から完成までには、特に多くのひとたちが坂出に暮らし、この街を行き交った。

今日、一緒に歩いてもらった 山地のお兄さんは1970年代生まれ。子どもの頃から青春期まで瀬戸大橋建設とリンクする。昭和の坂出中心市街地が賑わっていた頃を知るひとだ。




坂出市役所前 #ランドスケープコーヒー37 を出て南へ。

#喫茶アリス は当時からあり、この隣にヤマハ音楽教室があってたくさんのひとが通っていた。





アリスは、今も賑わっていて、今日もおばちゃんたちの明るい笑い声が聞こえていた。


いま、坂出駅前のイオンになっている商業施設は、昔は #ニチイ。もっとこじんまりしたビルが、商店街と並び駅前から細長く建っていた。
このあたり(本街道)にもアーケードがかかっていたそう。

ニチイの1階には、#吉田ベーカリー のドーナッツマシンが次々とドーナッツを作っているのが見えたそうで、そんなん見たら子どもは買わずにはいられないね。



#しんすい園 もニチイの中にもあって、あの中華そばの味をここで知ったひとも多い。




#サザンクロス、まだやってるのかな?とお兄さんがいうので、「やっているよ、坂出ガールたちにすすめられた」と話すと、サザンクロスも相当な老舗だと教えてもらう。



このあたりは、今も残るお店もあるが、場所が変わっていたりするらしいので、商業施設やアーケード撤去で街の形が変わったのかもしれないね。



元町商店街の入口の #洋館 がなくなったのは残念と話しながら元町へ。住宅地図の欠片をみながら進む。

今は駐車場になっている #松尾医院 のとなりにファンキー末吉さんの実家である中華料理屋さんがあり、子どもの頃、よく連れて行ってもらったそう。

松尾医院を挟んで、あずまのおもちゃ屋、キタハマフルーツ。坂出の商店街は、いま22軒と聞くけど果物屋さんが多い。やはり、ブランドみかんの産地だからかな?






PRkagawaの坂出の地図にも描かれていた、子ども服の看板絵はお兄さんの記憶にも強くのこっているとのこと。この看板の子たち、いまも古びないおしゃれさんなんだよ。




ますやの隣やあが徳裏の映画館のことは覚えているが、そのもっと昔は、映画館は夜の繁華街のほうにあったとのこと。映画という娯楽が、おとなのものからファミリーのものになったってことね。

土曜デーのことはよく覚えていて、市のような出店もあったが、むしろ、それぞれのお店が店前に出張って夜も店をあけていた。とにかくたくさんのひとがでて、すごい賑わいだったそう。

商店街あげての夏のロングランイベントは、だったんだな。


お兄さんの同級生たちのお店は、いまも残る店が多い。ちょうど、その世代が店を継ぐ頃になっているのね。

#ダリア洋装店、化粧品の #いづつや は、コロナ規制も緩和されたからか、奥さんたちが楽しげに談話していた。





何度か坂出を歩いたけど、きょうが一番、楽しそうにしている声をきいた。沈んだ雰囲気だったのは、コロナ自粛のせいでもあるな。



サンロード商店街から西に入る。#スナック志磨 の看板に「志磨まだあるやん」とお兄さん。





この通りも昔はアーケードがかかっていたそうで、夜のお店がたくさんはいった商業ビルもあって賑わっていたそうだけど、いまは更地になっている。

このあたりや #やっ古 あたりは、一度、日が暮れてからゆっくり歩いてみたいね。



本町通りの 砂糖問屋 高須商会が開いていた。なんだか嬉しいなぁ。




塾に通ったり、友だちの家にいったり、学校にかよったり、日常にあった商店街の今をみてどう思う?と聞くと、完全に違う街にきたようだと言われた。





帰り道、#坂出人工土地 に寄る。お兄さんの友だちで、ここに住んでいたひともいて、遊びにきていたそうで、当時とほぼ変わらない状態で残っているそう。





ここの写真をアップすると、若い子たちがかっこいい住みたいっていうんだよと話しながら、しかしこの階段は年をとるとしんどいねといい合う私たち(笑)















  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:18Comments(0)まちの情報るいまま

2022年10月27日

朝さんぽ 朝仕事





10/26 goodmorning

おはよう! ごえもん(笑)
高松は快晴!

昨日、稽古をしているとき、子どもの頃の話になり、恵美さんたちが、昔は学校帰りに花の蜜を吸ったりして遊んで帰ってたなと話し、私はそういう経験がないんだよというと驚かれたんだが、

小学校までは5分もかからず、おばあちゃんの家が商店街の北のはしで、私の家が南のはしだったこともあって、この2kmの商店街が散歩道だったし、

なにより、家でバービーと遊んでいる空想の時間が圧倒的に多かったので、自然に親しむことは皆無。

同世代の子どもとキャーキャーいうこともなく、完全に母親の好みのなかに生き、周りは大人だらけだったので、安全ではあったけど、お母さんが不機嫌にならないように顔色をみる癖があったような気がする。

それが、まさか、こんな鬼娘になろうとは神様も予測がつかなかっただろうと思うよ(笑)

藤塚町 #槻本神社の空→



#丸亀町グリーン朝の猫→



片原町 #風音美容室のごえもん→



片原町 水曜市→



ライオン通り #茶寮の湯気→



瓦町駅 フラッグ




どこかで本を読んでから帰る。





【朝仕事】

片原町 #くつわ堂喫茶室 が、やっぱり1番はかどるので、いつもの席でアップルパイを食べながら朝仕事。



朝さんぽをしながら、続ける残るというのは、よくよく覚悟のいることだなと思った。

どんなによく歩いた街にあった店でも、自分が関わっていないところは、潰れてしまえば、前に何があったかの記憶さえあいまいになっている。ほんとに儚いものだ。

高松の青線地区 #パラダイス も歩いてきたが、今でもここの歴史を知るひとは少ないのに、10年後、ここがあったことすら人々の記憶から消えているかもしれないなと思う。

小説なんて絵空事で、小説家なんて詩人に比べると下世話な人間だから、偉そうなことは言うてはならん。

地方は、どうもそこを履き違えてるひとが多いといったのは、大阪の師匠たちだが、彼らは、下世話話にある真実に誇りがあったに違いない。


#西鶴 などは、正にその見本のような作家だが、西鶴が書く下世話話のなかには、当時の大都会 大阪京都 のひとたちが、何を食べ、どんな暮らしをし、何を思っていたかがたくさんでてくる。

生類憐れみの令がでるまでの京都のまちは、牛もよく食べていたし、その食文化も発達していた。

生類憐れみの令のおかげで精進料理の研究がはじまり、京料理がぐっと洗練したというのも、西鶴研究家たちが、彼の作品から読み起こしたことだ。


今朝の槻本神社


もう冬だね。


フェリー通り


フェリー通り沿いのビル。取り壊されると、何があったか思い出せない。


ライオン通り。赤いコートかわいい


なんかできてた。


天安


華下天満宮参道入口


狛犬さんに落書き。ひどいなぁ。




華下天満宮の丑


コトデン片原町駅付近。


パラダイス






  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:00Comments(0)るいまま

2022年10月22日

現代サーカス×地元産業 素晴らしき融合!





【現代サーカス×石屋】



予想どおりというか、予想を遥かに超えるというか「現代サーカス×石屋」に感激しながら帰宅。

石材工場に組まれたトラスに繋がれた庵治石でつくられた新しいサーカスの道具には、石屋さんが持つ古来の技術が生かされ、両者の良きところがうまく融合。

またひとつ扉が開いたようだった。





瀬戸内サーカスファクトリーの #田中未知子 さんは、新しいものを作っていくためには古いものでやっていてはできないので、次々と挑戦していかなくてはならず、庵治石とのコラボは長年の夢であったと言う。

エアリアルの #吉田亜紀 さんは、庵治石という重みのある素材でてきた球と楽しげに戯れてみせてくれたが、ここまでになるまでには身体を道具にもっていかれそうになる状態をのりこえてのことだったそう。


トラスを引っ張る重りは片側500kg(両方で1t)必要で、普段は無粋なもので重りをつくるようだが、今回は瀬戸内の島のような形のサビ石でつくられた素敵な重り。

これは、Tata Oota さん親子の作で、500kgをひとの手で運べるよう13から14に分割されているのだけど、単に割ったり切ったりではこんなにぴったりした形にはならない。

隙間ない形であり、尚且つ滑らないようにするため、こちらは古来の技法でつくられている。

機械が発達し便利になって古来の技法が消えつつあるが、石屋でありアーティストでもあるtataさんたちは、様々な技法をつかうため、ここに技術が残っていた。












大久保 一彦 さんが、田中さんから石材工場でサーカスをと相談されてから1年。

パフォーマーたちが良い作品を作れるよう、サーカスの道具だけでなく、会場整備や現場での作品制作の協力など、たくさんの力添えをいただいたことを田中さんが感謝し、

大久保さんはとてもいい経験をし、サーカスが進化していく姿を目の当たりにできたことを感謝された。

そして、この空間で、#目黒宏次郎 さん、#吉田亜紀 さん、#吉川健斗 さんの上質なパフォーマンスそれぞれにヴァイオリンと声で音を作った、#オペラ さん。





背中に子どもを背負っての演奏なのに、音になにの澱みもなく、パフォーマーの言葉や呼吸のような音楽に恐れ入ってしまった。

田中さんが高松に来てくれて12年。田中さんが思い描いていた形がどんどん実現している。

大変な時期も知るものとしては、とても嬉しい。牟礼庵治の親方たちと出逢えてよかった。

大久保さんが、ここ(牟礼庵治)にはきっかけを与えると、それを形にできるひとがたくさんいる、自分はそのきっかけを作るだけと謙遜されたけど、

大久保さんの「夢あるひとを支援したい」という思いを、みなさんが理解しているからだと思うよ。



■現代サーカス×石屋 は、明日10月23日も3公演あります。1公演目のお話は #松山滋 さんですぞ。



http://scf.or.jp/circus_x_factory

そして、このあと


■11月5日6日は、ヌーヴォー・シルク・ジャポン in 直島 として、またひとつ進化した公演がございます。

詳しくはこちら
https://nouveau-cirque-japon.jp/
























  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:00Comments(0)まちの情報るいまま

2022年10月22日

レインブック&ブックスタンド






【レインブック】

今年も参りました。#玉藻公園披雲閣レインブックコンサート。

今回で17年。最初のコンサートに来たのはまちかど漫遊帖が始まった年。私は第1回目からのファンだ。

その間、コロナのときも中止することなく呼んでいただきありがとうございますと #山本容子 さんが言われたが、その間に結婚し妊娠し出産もされたのに、一度も休まず高松にきてくれた容子さんに私たちが感謝だ。

17年のうちには、レインブックのスタイルが変わり、サポートメンバーブックスタンドに #田中どぼん俊光 さんがピアニストとして加わり、不慮の事故でたびだったギターの藤岡さんの穴をうめるべく #村山遼 くんが急遽加わり…と、ただ安穏と17年がたったわけではない。

藤岡さんの大ファンだった私たちが、「#私たちの村山遼」と呼ぶのは、急のことに高松に駆けつけてくれたギタリストに私たちは敬意をもち応援するという意味だ。

最初の年は、偉大な師匠の代役としての緊張がつたわってくるような雰囲気だったが、

今年のコンサートの村山くんは、もう藤岡さんのかわりではなく、「さすが村山遼だな♪」という素晴らしさで、特に、荒城の月は圧巻。そして、お約束の、アイオクリでは、2代目坂口健太郎(笑)を果たしてくれ、私たちは大満足。

レインブックコンサートが終わると、南国高松にも本格的な秋がくる。玉藻公園の菊花展も始まる。

■玉藻公園web
http://www.takamatsujyo.com/


村山遼くん















  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:00Comments(0)まちの情報

2022年10月19日

農業従事者と二人三脚で 食の劇場






いつも、農業や食のいまについて教えてもらっている岡本くんが、

なぜ #食の劇場 をつくったかがよく分かる新聞の記事。
うちの娘社長と同い年だとわかった日。ああ、このひとも茨の道を選ぶひとだなと思った。

そのままの人生を歩んでも不足なき人生だったと思うが、自分の意志をもってこちらを選び、必ず乗り越えていく力を持つひとだ。

新聞は、ぎゅーんと広げて全部よんでね。

………………
2022.10.19 岡本裕介さん facebookより


毎日新聞の西本記者さんの取材を受け、四国人に掲載いただきました。とりとめなく話した農業と出会ってからの19年間をうまくまとめてもらいました。良かったらご一読ください。

事業規模によって経営者が抱える課題は様々ですが、これまで新規就農者から大規模な法人経営まで千人を超える農業者と一緒に仕事をしてきて、農業経営の楽しさや嬉しさ、その逆の厳しさや辛さも一緒に経験してきました。
経営者は自分の責任で事業の舵取りをする立場にあるわけですが、ひとり孤独に考えていると、自分が出した結論が正しいのか、経営判断として合っているのか、投資額に無理はないのか、補助金は使えるのかなど、自信をもって答えを出せずひとりで悩みや不安を抱えていると思います。そんな経営者をひとりでも減らすため、経営判断にまず必要な会計的な思考を身につけてもらい、二人三脚で一緒に方向性を考えながら事業発展に貢献したいと始めたのがいまの自分の仕事です。

人知れず頑張っている何百人、何千人という農業経営者を応援したいと思いながら、今も農業の現場に毎日出向いています。不安や悩みを話して情報交換するだけでも気持ちは前向きになります。経営環境が厳しい時こそ経営者は腕の見せどころ、、大変な時こそ差がつくと思って頑張ってほしいと思います。陰ながら応援しています。




  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:00Comments(0)まちの情報

2022年10月18日

物書きは言葉にたくす。本番まで2週間!






【物書きは言葉に託す】

11月3日(祝) 音楽と言葉と喫茶店「#香川の文化を伝えようとした女」のリハーサル。

音楽と言葉班が固まってまいりましたので、本日は、お話を担当してくれる #山下アキ さん、昭和の喫茶店をイメージしたお菓子を作ってくれる #パティスリースミダ の住田社長をお招きし、



音楽を担当する #サックス兄妹 の きんじさん、奈美ちゃん、そして、るいままのリハーサル兼打ち合わせ。



サックス兄妹は、初めて観客のいる状態で、この作品の演奏をし、ぐっと気持ちがあがり熱い音になっていた。





作品の全容を見たアキさんが、「ほんとにPRkagawaと文通だけでこれを書いたの? 」と驚くので、そうだよ、PRkagawaに残した山地の言葉から読み取り書いたんだよと答える。

まるでそこに山地ちゃんがいるようだったとアキさんが言い、どうしてそんなに気持ちが分かるん?ときかれたので、「それは、たぶん私も物書きだからだよ」と言う。

日曜日、プッチーニのことを話してくださった星出先生が、音楽は作曲家にとって日記帳なのだといわれた。音楽家はその時の自分の思いを曲に託す。

物書きは、言葉に託す。

直接関係ないように見える文章でも、そこに埋め込まれた、当時の苦しみや悩みや喜びを文字が教えてくれる。

私がなぜこんなに山地にこだわるのか。それは、不器用なほど正攻法で取材を続け、常人では考えられない時間をかけて、たぶん採算など度返しで、この雑誌を作り上げたことが痛いほどわかるからだ。

自分の情緒に負けない。それが、今回の私の課題だ。たぶん、アキさんは、今日同じ課題をもって帰ることになった。

でも、山地が作りたかった「今日も明日もあさっても、みんなをそっと応援する、くすっと笑えるノージェンダーな時間」を作るために、今日から頭をフル回転させて考えてくれるはず。

本番まで2週間。みなさん、よろしくお願いします。









  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:00Comments(0)コース構築中るいまま

2022年10月15日

秋まつりの季節だね!





秋まつりだね。

観音寺も小豆島も、我が高松の氏神様 石清尾八幡さんも3年ぶりの本格的な秋祭りらしく、ほんまによかったなぁと思う。


豊浦くんの観音寺

お宮に向かっています。


中村さんの小豆島

内海八幡神社例大祭太鼓台奉納
 苗羽太鼓台がこれから苗羽農協前をスタートします
❗️


義之さんのfacebookから 石清尾八幡さん
  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:00Comments(0)まちの情報

2022年10月10日

和田邦坊展 茶楽茶会で岡本くんと






【和田邦坊展 茶楽茶会】

今日の讃岐おもちゃ美術館 和田邦坊展は、#茶楽茶会。美術館前で、#食の劇場 の岡本くんに会いふたりで参ると、

石あかりで長くお世話になった、牟礼大丁場の大久保さんが! お久しぶりです!



大久保さん、今度はサーカスとコラボとのこと。詳細はのちほど。


3人で、裏千家 山本さんの席にはいり薄茶を2服。お菓子は三友堂。和田邦坊がプロデュースした かまどの銘菓「田舎 」をオマージュ。主茶碗は田淵太郎。お茶は原ヲビヤ園 「万代」。








茶席のあと、#讃岐おもちゃ美術館cafe で、岡本くんから茶の生産者や八女茶や新宮の話をきき、それは農業のこと経済のことと広がり、ずんやり話し込む。

野菜や果実やお米は工業製品ではなく、何ヶ月もいくつもの手間がかかり私たちの手に届く。コロナになろうが何があろうが生産者さんたちが手を止めなかったから今もスーパーや八百屋に野菜が並ぶ。そんな話、みんなにも聞いてほしいんだよね。

思いがけず、よい時間がもてました。ありがとう!
  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:00Comments(0)るいまま

2022年10月09日

ハマノ製靴所 でブーツの仮縫い






【ハマノ製靴所】

ただいま黄色い丸亀町 #ハマノ製靴所 にブーツの仮縫いに参りました。

履き心地や長さ、革を何にするか、底はどうするか、紐は?と、いろいろ決めていきますが、いつもどおり、希望だけ伝えて細かいところは濱野くん任せ。








仮縫いは茶色ですが、実際は黒で、手作業でいっぱいドットをいれてもらいます。うひひ




毎回、るいままのRマークをどこかにいれてもらい、いままでは踵のあたりでしたが、今回は違うところに入るらしいので楽しみ。

ただいまハマノ製靴には、奈美ちゃんのチビっこ靴、城ガールのハンサムブーツがおりまして、るいまま組勢ぞろい(笑)



3人の靴をみたふみえちゃんが、こんなに足の形って違うんですねと驚き、

そうそうオーダーシューズを作ったら、そればっかり履いてしまうのは、楽さがぜんぜん違うからだよと話す。

足に悩みを持ちながらも、騙し騙し既製靴を渡りあるき、やがて膝や腰が悪くなっているのに、オーダー高いでしょう?と言うひとが多いのだけど、

腰や膝が大事にならないうちに、健やかなる「歩き」のために、

早くハマノ製靴所に流れ着きますようにと祈るばかり。

  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:00Comments(0)るいまま

2022年10月09日

十三夜のお月見さんぽ






【お月見】




日が短くなったなと実感するのは、茶室る庵の稽古おわり、外にでるとすっかり暗くなっていること。

今日は、長時間しっかりお稽古をしたので、かなり前進した涼子ちゃんを見送り、

峰山登山と多度津まち歩きまでに体調を整えておくため、夜の高速さんぽ5km。



三連休と瀬戸芸が重なっているせいか、商店街はたくさんの人出。

夏は涼しくて気持ちいいといっていた高松駅前も寒いくらいなのに、ひとが行き交っていて活気あり!(外国からの観光客も多い)






昨日、買ってすごく美味しかったみかんを、藤塚町マルシェで、また買い、

事務所にもどって十三夜のお月見準備をしていたら、Uber Eatsのお兄さんに声かけられる(笑)

なんにも頼んでなくて、ごめんよー。


お月見をしていてわかったのは、Uber Eatsのお兄さんやおじさんが町を縦横無尽に走り回っていること。デリバリー利用するひとおおいんだね。




私たちの月見の友は、団子かわりのみかんと、城ガールにもらったゆず酒。一本空いたところでお開き。よき夜でした。







  


Posted by まちかど漫遊帖 at 00:00Comments(0)るいまま

2022年10月06日

坂出市中心市街地 華やかかりし頃




【坂出市の住宅地図】

いやぁ、騙されたな(笑)

#坂出市立大橋記念図書館 を、瀬戸大橋記念図書館だと思っていたら大橋さんの作った図書館だったよ。

よく間違えるひとがいるらしく、wikiの冒頭にも「「大橋記念図書館」という名称の由来は瀬戸大橋ではなく、建設費の寄贈者の名前(大橋正行夫妻)である」とあった(笑)

なんで大橋記念図書館かというと、

先日、#やっ古 の大将や、#大塚律子 さんに伺った、坂出市の繁華街について調べたく、瀬戸大橋が着工された1978年ころの地図はないかと検索していたら、

坂出市の人口は6万人をこえ、中心市街地には7館も映画館があった頃のことを書いている方(#振り返ればロバがいる さん)がいて

やっ古の周辺の住宅地図(部分)をアップされており、それが、坂出市立大橋記念図書館で資料を得たとわかったから。


やっ古の大将が「うちの前は映画館やったしな」と教えてくれたとおり、向かいは #坂出日本劇場(1951-1975)、木造二階建ての450席の映画館。主に洋画を上映していた模様。





ちなみに、#元町商店街 #小川百統子 さんのシャッターアートがある #ますや の隣の駐車場は、#坂出日活 だったところで木造二階建て172席とあるので、日本劇場はかなりおおきな映画館だったと想像がつく。



商店街に最後まで残ったのは、#呉服のあが徳 さんの裏にあった #坂出東映。1980年ころまで残っていた。


ロバさんが引用されていた、1952年の「#大日本職業別明細図」もなかなか興味深く、



日本劇場の前身 #寿座 が記載されており、さすがに、まだ やっ古もないのだが、#眞翆園茶舗 (しんすい園)は見える。



私は高松で生まれ育っているので、昔のこのあたりをまったく知らず、地図の上と、いま残るものでしか想像がつかないが、

坂出で生まれ育ち、坂出華やかかりし頃を知っているみなさんだと、興奮ものの地図じゃないのかな?



ちなみに先日、対話させていただいた 坂出生まれ坂出育ちの観光協会の横山さんは1997年生まれ。

高校生の頃、どんなところであそんでた?ときくと、

すでに中心市街地はあかりが消え、高校生が行くところもなく、自転車で丸亀のゆめタウン(8km)か、綾川のイオンモール(12km)まで行っていたそうで、

高校生のチャリ漕ぐ力凄いなと話した(笑)

さすがに22km離れた高松は外されていた模様。




こちらのblogは参考になる情報満載。是非に

■振り返ればロバがいる
2021.9.30 坂出市の映画館

https://ayc.hatenablog.com/entry/2021/09/30/153207#15-%E5%9D%82%E5%87%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8A%87%E5%A0%B41951%E5%B9%B44%E6%9C%88-1975%E5%B9%B4%E9%A0%83



■坂出市の平尾くん
これは懐かしいですね〜♫
昭和の最期に坂出港まつりのイベントで役所から「SKGさんで賑やかしに商店街で演奏してくれませんか」との依頼。当日現場に行くと元町商店街にある『松尾医院(産婦人科)』の真ん前(笑)
演奏を始めると案の定、病院から「産気づいとる人がおるのに!」とクレーム
役所もおおらかでしたわ

入ってすぐに産婦人科医院がある商店街もなかなか無いです

るいまま
昔の地図見てると、結構病院があるので、真ん中にギュッとつまった、いま流行りのコンパクトシティだったんだよ。近代都市化しようとしてたんじゃないかな。

平尾くん
それが行政主導じゃなく自然発生的というのが面白いですね〜

るいまま
坂出は、お金持ちが多いらしいよ。図書館寄贈ってのも、すごいやん。

平尾くん
そこに再開発が進まない要因があるみたいですよ

るいまま
そこだね。困ってないからね。それは、みなさんから聞くよ。


■昭和の女子高生 いっち
高校の時、観に行った映画は「八つ墓村」あのころは向こうが見えない程の人の波だったなあ。
ニチイの屋上では、中条きよしが「嘘」を歌ってた。塩田ビルには地下街や学校の傍には指が入っても平気な食堂があったですー。思い出す〜❤

平尾くん
それは今はなき鎌田食堂でわ?!
「おばちゃん、指、指!!」「大丈夫や、熱うない」毎回繰り返されるショートコント(笑)

いっち
そうそう!

平尾くん
土曜日や夏休み中、部活の昼休みは鎌田→だるま→つくしのローテーションで昼ご飯に行ってました


■昭和の宇多津のお嬢さん 陽子さん
かれこれ50年以上前、毎月1と6のつく日に「いちろく」や土曜デーなど商店街で賑やかなイベントがあり、しょっちゅう出かけていました。
しんすい園さんから少し南にある大安屋の肉屋さんの2階がレストランになっていて、よく食べに行っていたことも懐かしく思い出しました。
今はなき坂出と琴平を往復する電車の駅が当時住んでいた家の近くにあって、よく利用していました。
本当に懐かしい!



  


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2022年10月06日

坂出あるきの記録をみながら






【坂出あるきの記録をみている】

観光協会の奴賀さんから聞いた、戦後から瀬戸大橋建築の頃の夜の街が高松以上に賑わっていた坂出の特別な地区。

むかし、ひとりでフィールドワークしてたんだなと気付く。

2011年7月13日
https://ruimama.ashita-sanuki.jp/e438343.html






るいままとしての365日 カテゴリー「坂出」
https://ruimama.ashita-sanuki.jp/c17024.html

こうして記録を遡ると、坂出の裏通りは、10年前から結構歩いている。写真に撮っていたお店もなくなったりして、随分様変わりしてしまったな…


そんなことを呟いていると、教授からコメントがはいる。

教授
穴倉の様なおみせがもう消えてきてますよね、、、

るいまま
10年ぶりに歩いてますが、ほんとに無くなってしまってます。

教授
私が穴蔵がむしろ魅力だなと思ったのがもう10年以上前だったんですね、、、砂漠なのかな、、、

るいまま
そうですね。10年前は、なんだかんだいって、まちの手がかりも含め、程よく残っていたんだなと、いまふり返って気づきました。

観光協会の奴賀さんや、やっ古のおじさんに、いろいろお話を伺いながら、フィールドワーク続けますが、まち歩きの構築に至る語り部がいないかもなぁ…と。


そんなところに、坂出の茶人 大塚先生から、こんな力づよいコメントをいただく。

先生
河豚の店ナポリ❗映画館松竹❗お寿司の次郎長❗次郎長は健在です‼️次郎長の南をいくと香蘭園中華屋さん突き当たりは映画館洋画専門右にまわるとうどん屋三松‼️この辺り同級生がいっぱいです‼️


一度、大塚先生と、このあたりを歩いてみようと思います。

当時の地図がほしいな。







  


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2022年10月04日

とうとう来たわ。坂出 釜めし「やっ古」。





【釜めし やっ古】

とうとう来たわ。坂出 釜めし #やっ古。





さっき前を通ったとき、おじさんが店前に座っていて、17:00頃帰ってきますからと、まち歩きをつづけ、戻ってきたら灯りが灯っておりました。


お店ができたのは、今から53年前。大将27歳のとき。

その頃の、やっ古界隈は坂出屈指の夜の街で、大きな料亭がふたつあり、フグの専門店はある、バーはある、キャバレーはある、映画館もあるで、大変な賑わい。

観光協会さんから芸者さんの数が高松を超えていたと聞きましたというと、

そうやで、うちも二階も奥も宴会のお客様でいっぱいで、ひともたくさん雇い、女房と俺で作り続けていたと大将。

最近は、県外からの若いお客さんが多く、みんなが迷わずくるからびっくりしてたら、Googleいうんに入ってるんやとな?と聞かれたので、

そうそう、ちゃんと迷わないようにmapにはいってましたよと言ったら、誰かいれてくれたんやな。きれいに写真も撮ってくれとる!




こうしてみんなが来てくれてるから、味は落とせんやろと言う大将の煮魚は、それはそれは美味しく、煮汁まですすりたいくらい。



釜めしは、1合。食べられるな?と聞かれ、食べられます!といったものの、ほかの充実ぶりに、最後におにぎりひとつぶんくらいのこり、ラップで持ち帰ることに。



お酒や料理を楽しんで、釜めしはわっぱに詰めてお土産にするひともいるそうで、翌朝、お湯をかけてさらさら食べるのも美味しいよとのこと。

鍋も人気で、天気予報をみながら、いつから鍋をだすかきめるそう。真夏日も今日まで、今夜辺りから寒くなるので明日から鍋がでるかも。

ふたりから作ってくれます。鍋の最後は雑炊(笑)

甑の杉林さんが絶対に行くべきと教えてくれたと話すと、とても喜んでくれ、しばし杉林さんの話になる。高松に店を出してよかったと、大将は言う。

美味しくいただき、昭和の坂出のお話もたくさん聞かせていただき、楽しい夕ごはんになりました。

ごちそうさまでした!




…………………

やっ古のおじさんが話してくれた界隈を、坂出の茶人大塚さんが解説してくれました。

河豚の店ナポリ❗映画館松竹❗お寿司の次郎長❗次郎長は健在です‼️次郎長の南をいくと香蘭園中華屋さん突き当たりは映画館洋画専門右にまわるとうどん屋三松‼️この辺り同級生がいっぱいです‼️

  


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2022年10月04日

坂出観光協会 横山さんと対話






【坂出観光協会】

今日は、#坂出観光協会 の横山さんとの対話。



坂出生まれ坂出育ちのべっぴんさんは、香風園の芝生広場で遊んでいたスポーツ好きな女の子。

何を話すより、まず #漫遊帖のガイド さんたちとの出会いを話すが一番。

それだけで、この人たちが、いかに面白く、思いが強く、愛すべき変人であり、優れたガイドであるか伝わる。

ガイドは立派なひとでなくていい。いかにひとを喜ばせたいと思っているか、強い思いを伝えたいと思っているかが大事。

その原点には #長崎さるく で出会った田中安次郎さんにいきつくのだと話をする。

まちづくりだ、まち歩きだと偉そうにいうのは簡単ながら、一番大事なのは「ひと」だ。

ひとと知り合うには、まず自分自身が街にでて普通のひとと話をすることをすすめる。

自分は普通って思ってるひとが一番おもしろいからさ(笑)



世代によって街の印象は変わる。

同じ坂出生まれ坂出育ちであっても、先日の奴賀さんとのはなし、横山さんの子どもの頃のはなし。盆点前ガールズふみえちゃんのはなしは、同じまちとは思えないくらい見え方が違う。



だから、自分にとって当たり前のことが、世代や地域を超えた人には、すごくおもしろいものになる。

横山さんには、たくさん笑ってもらった。次は、横山さんがどんなお話をしてくれるか、楽しみ!

ボスである奴賀さんは、ネタの宝庫ゆえ、奴賀さんの持ってる歴史書には乗らないむちゃおもしろいネタ引き出しといてねとお願いして、おいとま(笑)

また、来ます〜

帰りに、またまた、坂出の路地裏を歩く。
































  


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2022年10月04日

3年ぶり さぬきの酒で乾杯





【さぬきの酒で乾杯】

片原町 #原ヲビヤ園 にお茶を買いに行き、#丸亀町壱番街ドーム でたまたま見つけた「#さぬきの酒で乾杯」。

3年ぶりの開催だそう。

買い物を済ませて帰ってくると、仕事かえりの洋子ちゃんに会い、ま、こうなるわな(笑)



空きっ腹に酒はまずかろうと三越で海鮮巻を買って食べ、やる気満々。







1000円のクーポンを買うとニコちゃんぐい呑を渡され、ふたりで

凱陣→勇心→川鶴→綾菊→森國→金陵



と巡る。

この前に利き酒の会があり、上位のみなさんは全国大会に向かうようで、その決意表明やら、酒蔵からのプレゼント抽選会があったり、ドーム2階から集合写真とってもらったり。





このとき各酒蔵から振る舞い酒。私たちは金陵さん。




酒の会は、知ってるひとも、知らないひとも、みんな友だち(笑)

たぶんコロナ前は夜9時近くまでやっていたんだろうけど、90分できちっと閉会。このあとは、街のお店へと促してたのは好ましい。

安いからと飲みすぎて大声ではしゃぐひともおらず、楽しい時間でございました。










最後の写真は、風音美容室のいくみちゃんとさと。闇チャリが再開し、身体がなまっていたことを実感したので酒はのみません!トレーニング行きます!と強い意志。それはそれで、大変すばらしい!
  


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